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2017年08月28日

島などは遠浅

こ5、6年のヴァカンスを過ごす地として選んでいるのは、
パリ及びフランス地域だが、それまでの10年ほどは、
決まってニューカレドニアに行っていた。
わがブログの初期の頃は、LCL from china そのあたりの紀行文のようなものが書かれている。
気心の知れた気さくなシェフや現地の知人なども出てくる。
このニューカレドニアは、南太平洋に浮かぶ島として、
タヒチと並んでリゾートの誉れ高い。
この本土の大きさは小さく見えるが四国ほどの大きさがある。
その離島の一つ、ウヴェア島などは遠浅の海岸線に20キロに及ぶ白い砂浜が続き、
「天国に一番近い島」と形容されるほど。
ヴァカンスという言葉が"vacant" 、すなわち、
何もない shipping from china、空(から)、空虚を表す言葉から来ているのなら、
まさにその名の如くの生活が送れる地でもある。
エメラルドグリーンの海。どこまでも続く白い砂浜。
天国と呼べるのはまさにこのような地だと言うこともできる。

ウヴェア島には、バンガロータイプの立派なリゾートホテルが一軒。
遥か昔のことだが、そこの支配人と懇意になり、話してみると、
「ここでは、お金を使うこともない。給与は振り込まれて
預金残高は増していくばかり。その点の申し分はないが、
時には東京の雑踏や山手線の混雑が妙に恋しくなることがあるんだ」

そんな彼と再び会ったのは、ニューカレドニア本島の
格式あるM ホテルの横にあるカジノ。
リゾートホテルの支配人を辞め、その地で自由業に転じて気侭な生活。
抜け出しては、カジノ賭博に打ち興じる日々だそうで、
カジノの腕を自慢する。
その日はボードやカードでツキまくり、祝勝のシャンパンのお流れに預かった。

翌年、再び訪ねてみると彼の姿はなく、消息も杳として知れない。
人の浮沈ははかるべくもない。
かく言うわが身も同じであることに違いない。

かの地は、いつか再び訪ねてみたい地でもある...
  


Posted by longsuo at 17:26Comments(0)

2017年08月28日

と掴みかかろう

園の芸妓として生きる姉妹の物語である。姉は梅吉(梅村蓉子)、妹はオモチャ(山田五十鈴)と呼ばれている。その借家に、木綿問屋主人・古沢(志賀廼家辯慶)が転がり込んできた。店が倒産、骨董・家具などが競売されている最中、夫人(久野和子)と大喧嘩して家を飛び出して来たのだ。古沢は梅吉がこれまでお世話になった旦那、「よう来ておくれやした」と梅吉は歓迎するが、オモチャは面白くない。新しい女のあり方を女学校で学んだ彼女は、男に尽くして食い物にされている姉の姿が不満なのである。八坂神社をお詣りしながら、「あんな古沢さんを居候にするのは反対や」、「これまでお世話になったのだから恩返しをするのは当たり前や」「姉さんは世間の評判を気にして、いい女になろうとしているが、世間が私たちに何をしてくれたというの」といった問答を重ねる姿が、たいそう可笑しかった。たまたま朋輩と出会い、「オモチャさん、あの木村さんがあんたに“ホの字”なのよ」という話を聞く。「なんや、あほらしい」とその場はやり過ごしたのだが・・・。
 オモチャが置屋に顔を出すと、女将(滝沢静子)の話。「今度の“御触れ舞”に梅吉さんを出したい。芸は申し分ないけど“ベベ”がねえ」、それなりの衣装が揃えられるか、という打診である。どうしても梅吉に出てもらい、有力な旦那に巡り合わせたいオモチャは「“べべ”の方は私が何とかします」と請け合った。折りしも、やってきたのが呉服屋丸菱の番頭・木村(深見泰三)、オモチャにねだられて、最高級(50円以上・現在の35万円以上)の反物をプレザント、そこまでの「やりとり」(男心をくすぐるオモチャの手練手管)は実にお見事で、私の笑いは止まらなかった。
 やがて、“御触れ舞”の日、骨董商・聚楽堂(大倉文男)が泥酔し、梅吉の家を訪れる。古沢とは顔馴染みで「古沢さん、私が売った軸が売られている様子を見て、実に情けなかった」と絡む。古沢は「やあ、実に面目ない、ところで少し小遣いを融通してくれないか」と頼み込む始末、聚楽堂の財布には大枚の札束があることを見届けたオモチャは、「お家までお送りします」と連れ出した。ハイヤーに乗り込み、行き先は茶屋町の待合へ。聚楽堂が酔いから覚めて「ここはどこや、あんたは誰や」と驚く。オモチャは平然と「まあ、一杯お飲み」と酒を注ぐ。「私は梅吉の妹や」と言いながら、姉さんがあんたさんにお世話してもらいたいと思っている、ついては居候の古沢さんを追い出したいので手切れ金を、とせがむ。聚楽堂もすぐにその気になって100円(現在のおよそ70万円)を手渡した。
 オモチャはその金を持って帰宅。梅吉の留守を見計らって古沢に話をつける。「お姉さんは、本当は迷惑なんや、それを言い出せないでいるから、わてが言うわ。これを持ってどこぞへ往んでくれへんか」と50円(現在のおよそ35万円)を手渡した。もとより、遊び人の古沢、長逗留する気などさらさらない。「わかった、ほんじゃ出て行くわ、おおきに」と言い残して、この家を後にした。行き先はいずこへ・・・。
 帰宅した梅吉、「古沢はんは?」と訝ったが、オモチャは平然と「どこぞへ往ってしもうたわ」「なんや、お別れぐらい言うてほしかった、つれない人やなあ」「それみい、男はんなんて、みんなそんなもんや」。オモチャの計略はまんまと成功したのである。
 一方、呉服屋丸菱では、番頭・木村の反物着服が発覚、主人・工藤三五郎(進藤英太郎)は木村を叱りつけている。「あれを誰にあげたんや」「オモチャさんです」「よし、ワシが話をつけてくる」と、梅吉宅に向かった。ここでも、オモチャは工藤を平然と迎え入れ、愛嬌たっぷりに、酒をもてなす。当初は意気高々、こわばっていた工藤の表情が、オモチャの一言一言によって崩れていく景色は抱腹絶倒、ここでも私の笑いは止まらなかった。
 かくて、オモチャは工藤の愛人となる。木村に「あんな女に騙されて情けない。今後は絶対にかかわるな」と言うだけでお咎め無し、夫人(いわま櫻子)は「あんた、うまいことゆうて丸めこまれたんと違いますか」と思ったのだが・・・。
 梅吉の家に聚楽堂がやってきた。オモチャは「姉さん、うまいことやりいや」と言い残して工藤との密会に出かける。しばらくすると、木村がやって来ていわく「今、途中で古沢さんに会いました」「どこで」「八坂下です。銘茶店で居候しているようですよ」梅吉は聚楽堂が止めるのも聞かず、一目散に古沢の元へ、聚楽堂も追いかけて二人とも居なくなった。木村は留守番の態でそこに居残っている。梅吉が銘茶店に赴くと「よう、ここがわかったな」「黙っていなくなるなんて、あんまりでは」「いや、オモチャさんからお前が迷惑しているからと聞かされて、出たんだ」「やっぱりオモチャが謀ったんだ」「ここは、実に住み心地がよい。お前も来たらどうだ」、梅吉にもようやく事態がのみこめたようだ。
 一方、オモチャは工藤と洋風レストランで密会、しかし工藤は財布がないことに気づいた。おそらく、あの時、梅吉の家に置き忘れたのだろう。それともオモチャが掠め取ったか。ともかくも、二人は梅吉宅を探すことにした。戻った二人は、そこに木村が居るのを見て仰天する。「お前、こんなところで何をしてるんや、アホ!」と工藤が叱りつけたが、今度は木村も黙っていない。「大将、何ですねん。わしを叱っといて、このザマは」。「お前、主人に向かって何ていうこと言うんや、すぐに暇出したる!はよ、ここから出て行け」と罵られたが、オモチャに向かって「大将は、オモチャさんの、まさか・・・」「へえ、わての旦那さんです」「ようそんなことが言えるな、このドタヌキめ!」「わてら芸妓や、時には嘘もつきまっせ、たった反物一枚でええ男ぶりやがって」「何!」と掴みかかろうとする木村を工藤がはねのける。木村はもうこれまでと覚悟を決めた。「よう、おぼえておけよ」と捨て台詞を残して立ち去った。
 木村は、この事実を工藤の夫人に電話で連絡、帰宅した工藤と夫人の間に丁々発止のバトルが始まる。「ええ年して、まだ極道が止みまへんのか!」その頃、木村もまた極道の世界へ赴いていた。
 古沢の元から小走りで戻った梅吉も覚悟を決めた。手早く荷物をまとめ始める。「姉さん、聚楽堂さん喜んだやろ」と話しかけたが「わてはこの家、出て行くさかい。みんな古沢さんから聞いたえ」「古沢さんに会うたんか。姉さんお待ち!」という言葉を振り切って出て行った。一人残ったオモチャ、座り込んで「何て、あほなんやろ」と呟く。
 しばらくすると「こんばんは」という声、見知らぬ男が「工藤さんから、お迎えの車が参りました」と言う。オモチャは欣然として衣装直し、化粧を施して車に乗り込んだのだが・・・、運転手(橘光造)がドスの利いた声で話しかけた。「オモチャはん、景気はどうだす。どこぞで遊ぼうか」、オモチャ、キッとして「あんまり心やすう呼ばんといて」「わてはあんさんのこと、よう知っとるで。どこぞの番頭口説いて、ぎょうさん巻き上げたんと違うか」「アホなこと言わんとき」と言い返すが「ええ顔して、ええ旦那さんもなく、相変わらずがつがつしてると思うと、かわいそうなもんじゃな」「はよう、工藤さんの所へ連れてってえな」「工藤さん?あんなしみったれな旦那やめとき。わてが、金ぎょうさん持ってる極道者世話してやるけえ、何だったらわてでもええぜ」「やめとくれやす」「ほんなら、そこのええ男はどうや」。よく見ると、助手席には木村が乗っていた。
 万事休す、どうみてもオモチャに勝ち目はない。彼女も覚悟を決めて車から飛び降りた。それとも落とされたか、重傷を負って病院に運ばれた。その知らせが、梅吉のもとに入る。あわてて梅吉は病院へ。古沢も「後から駆けつける」と言う。
 病院には包帯姿のオモチャ、「まあ、まあ、こんなことになるなんて、男はんの心を弄ぶからこんなことになるんや」と諫めたが「こんなことで、男に負けるもんか、わては負けはへん」と叫んでいる。ともかくも安静にと頼んで、梅吉が古沢の元に戻ると、その姿は消えていた。突然、奥さんから電報が届いて、奥さんの故郷に向かったと言う。そこで新しく人絹工場を始めるらしい。なんぞ書き置きでもと訪ねると「わしのような頼りない男ではなく、もっといい旦那を見つけてくれ」という伝言だった由。
 傷心の梅吉はやむなく病院に戻る。オモチャの傍らで泣いていると「どうしたんや、そんな不景気なもの出して」「古沢さん、急に故郷に帰ってしまったんや、わてには何にも言わんと」「そんなこっちゃ、みとうみ。なんぼ実を尽くしても、自分の勝手な時には、わてらを捨てて行ってしまうんや」「わては、それでええねん。するだけのことをしてきたんだから、古沢さんも喜んでくれるやろ。世間にだって立派に顔を立ててきたんやから」「そやけど、それで姉さんはどうなった?世間に立派な顔をたてたやろうけど、世間はいったい何をしてくれた。古沢さんは喜んだやろ、けど、姉さんはどうなった。ええ暮らしができるようになったか、黙って言うなりになって、ええ人間になっても、どうもしてくれはらへんねん。商売上手にやったら腐ったやっちゃと言われるし、わてらはどうすればいいのや。わてらにどうせいと言うのや。何で芸妓なんて商売、世の中にあるんや。何で泣かなあかんのや。こんな間違ったもの・・・、なかったらええのや。」とオモチャもまた号泣するうちに、この映画は「終」となった。
 さすがは、女性映画の巨匠・溝口健二監督の「傑作」である。見どころは何と言っても、山田五十鈴のはじけるような魅力であろう。二十歳そこそこの若さで、中高年の男心をくすぐり、弄ぶ手練手管の数々を十分に楽しめる。その根底には、「男なんかに負けてたまるか」という確固たる意志と意地が横たわっている。オモチャの「何で芸妓なんて商売があるんや」という怒り、憤りは、監督・溝口健二自身の当時の思い(フェミニズム)を代弁して余りある。
ほとんどの登場人物が和服を着ている中で、さっそうと洋服を着こなし帽子をかぶる姿が
「新しい女」の息吹を象徴している。比べて、姉・梅吉の梅村蓉子は心身ともに和風、義理・人情を重んじ、まず相手の立場・気持ちを忖度する。正反対の「生き様」だが、姉妹の絆はしっかりと結ばれている。オモチャにとって梅吉は、誰よりも大切な人、その姉を守るために「危ない橋」も渡らなければならなかったのだ。
 この姉妹に比べて、男たちの「生き様」は、どれをとっても喜劇的である。オモチャに手切れ金の半額とも知らずに渡されて、あっさりと遊びに行く古沢、色香に迷い、30万円以上の反物を騙しとられた木村、それを取り返しに行って「ミイラ取りがミイラになった」工藤、オモチャの口車に弄ばれる聚楽堂などなど、間抜けで助平な男の「本質」を、志賀廼家辯慶、深見泰三、進藤英太郎、大倉文男といった男優陣が見事に描出していた。異色なのは運転手役の橘光造、関西ヤクザの勲章とでも言うべき、ドスの利いた「立て板に水」の啖呵は、オモチャを思わず車から飛び降りさせるほどの迫力があった。 
 この映画を、女性映画の名手・成瀬巳喜男監督の「噂の娘」と比較する向きもあるようだが、それは野暮というものである。生い立ちでは、溝口が先輩、ともに東京出身、経歴も似ているが、女性観には大きな差が感じられる。溝口の姉は芸者上がりの子爵夫人、自分も「痴話喧嘩のもつれから、同棲中の一条百合子(別れた後、貧しさのため娼婦となる)に背中を剃刀で切られるという事件」(ウィキペディア百科事典から引用)を起こしていることなど、「女の性」「女の怖さ」を知り尽くしているように感じる。一方、成瀬は当時の花形女優・千葉早智子と結婚、一子をもうけたが3年後に離婚、子どもは千葉が育てたという。成瀬のモットーは「女性賛歌」、もっぱら「女のたくましさ・したたかさ」を畏敬する姿勢が窺われる。言い換えれば、溝口の女は濡れており、映画は悲歌をベースにしているが、成瀬の女は乾いており、映画は謳歌をベースにしている。さればこそ、「比べようがない」のである。
 ただ一点、二人に共通しているのはフェミニズムという「人権思想」であることはたしかであろう。  


Posted by longsuo at 17:25Comments(0)sunny