2017年09月05日

抱え絵師みたい

抱え絵師みたい
研究というとどうしても自然科学系のものが真っ先に思い浮かびますが、文化系、美術系の研究所もありました(#^.^#)今回はそれらの幾つかを紹介していきますが air freight from china、中には『ん?』というものもありますので生暖かく眺めてやってくださいませ(*´ω`*)

◆新聞研究所(東京帝大構内)
現代における新聞紙の昨日を科学的に研究する目的で東大の法経文三学部が主体となって設立されたもの・・・なんだそうですが、ツッコミどころが満載すぎるんですが/(^o^)\
新聞の内容ではなく新聞『紙』の研究 shipping to Amazon FBA?それなのに法経が主体?そもそもどこをどう研究することができるのか・・・エリートが過ぎて斜め上に行ってしまったのでしょうか?凡人にはちょっと理解できません(^_^;)

◆史料編纂掛(東京帝大構内)
東大附属の研究所で、国史研究上の文献資料がこちらに集められ研究されていたようです。当時の有名な史学者が編纂感として携わっていたとか・・・良かった、こちらはまともな研究所だ(おいっ)

◆皇典研究所
貴族院議員の江木千之翁が所長を勤めていた研究所らしいのですが、これは文字通り皇室関連の文献を調査していたんでしょうかねぇ。説明文に所長しか書いていなかった、謎の研究所・・・活動内容が気になるところです(そもそも江木千之翁という人が何者なのか・・・皇室文献を取り扱えるということは、華族や士族の中でもそれなりに信用できる人だとは思われるのですが、謎です(>_<))

◆絵画研究所諸々
これは現代で言うところのアトリエ的なものだと思うのですが、絵画関係の研究所が当時かなりあったようです。
判明しているだけでも『太平洋画会研究所』『川端画学校』『本郷絵画研究所』『同舟者洋画研究所』『芝絵画研究所』『日本美術院研究所』などなど・・・手元の資料にはまだまだ羅列されているのですが本当に多い(>_<)しかも日本画洋画プロレタリア美術に写真、彫刻まで 多種多様(@@)
でもこれだけ研究所があったということは、需要もそれなりに見込めたということでしょうし、就職先もそれなりにあったのではないかとも思われます。いわゆるお抱え絵師みたいなお仕事じゃなくてもサブカル的なお仕事とか・・・竹久夢二のような挿絵みたいなのも需要があったと思うんですよね~。それだけにここまで美術研究所が乱立したのかもしれません(*^_^*)
(今のアニメ制作専門学校みたいに♪)

次回更新は9/12、東京市の事業について書いていく予定です


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Posted by longsuo at 10:43│Comments(0)Jackson
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